角川文庫
 *長い前書き
 最初に取り上げる文庫がなぜ「創元」や「早川」じゃなく、「角川」なんだろう、と思う人もいるかも知れません。理由は簡単、僕が古本を集めるきっかけになったのが、この角川文庫だったからなのです。昭和46年、僕が中学一年のとき、書店で手に取った一冊の本。『八つ墓村』。そう、のちに日本中に空前の大ブームを起こす事になる角川文庫横溝正史シリーズの刊行に、幸運にも僕は立ち会う事が出来たのです。同時期、春陽文庫では江戸川乱歩の長篇全集の刊行が始まっていましたし、中学生の探偵小説マニアとしては、最高に恵まれた環境だったと思います。『獄門島』『悪魔が来りて笛を吹く』『本陣殺人事件』。次から次へと出版される名作たちの虜になります。
 そして中学から高校へ。正直、20册め頃になると、さすがに似たような話ばっかりで熱はさめましたし、受験を控えた高3の夏、34册めの『迷路荘の惨劇』を最後に、発売直後に買う事もなくなりました。しかしそれでも読むものに困ったときや、時間つぶしをしたいと思ったときには迷わず、このシリーズを手に取ったりしていましたし、たまに読むぶんには、いつも期待以上の物を与えてくれました。このように角川文庫の横溝正史はいつも生活と共にありましたし、本屋さんのこの黒い背表紙が並んでいる区画はいつでも僕に安心感を与えてくれていました。
 そんなある日のこと、近所の本屋さんで立ち読みをしているときでした。何か空気が違います。何が違うんだろう、この違和感は何だろう、しばらく見渡してみて原因に気付きました。無いのです。いつもそこに並んでいた横溝正史が。昨日まで確かに50册程並んでいた横溝が10册ほどしか並んでないのです。そうか、さすがに人気がなくなったか。その時はそれぐらいのことしか思いませんでしたし、大きい本屋に行けばいつだってこのシリーズと会うことが出来る、そう思っていました。それが無いのです。どこに行っても同じような品(代表作)が10冊程並んでいるだけなんです。絶版になるにしたって、全国の本屋さんが一斉に返本するはずはない、いくらなんでもこれはおかしい、どうしたことなんだろう。
 その疑問はやがて解けることになります。当時僕は池袋に住んでいましたが、そこには「発売中の文庫は全部ある」が売り文句の文庫専門の本屋さんがあったのですが(当然そこにも横溝はなく)、思い余った僕は店の人に聞いてみました。
「そこにあるヤツ以外返本したよ。だってホラ、カバー掛けかえなきゃいけないでしょ? 消費税で値段が全部変わったから」
「あ…、でも絶版じゃないですよね。カバー変えたらその内ほかのも再発行されますよね?」
「さあねえ、出ないんじゃないの? わざわざ手間掛けて売れませんでしたじゃ、出版社の丸損だしね。売れなさそうなヤツはそのまま絶版じゃないかな。だってホラ角川さんは出版点数多いしね」
 なんてことだ、消費税導入に関してはいろんなところでいろんな人がいろんな問題について討論をしていたけれど、そんなことは誰も言って無かったじゃないか。憤りでぶち切れそうになりました。言われてから見てみると、横溝だけではありません。その他にもごっそり消えている作家が山といます。文学史に出てくる所謂「大家」の位置にある人は全滅で、「今売れている作家」しか並んでいないのです。
 消えたと聞くと急に欲しくなるのが人情です。その日から横溝を求めて古本屋を回る日々が始まりました。すぐに集まるだろう。最初は高をくくっていました。実際、およそ全90冊の内60冊ほどはすぐに揃いましたが、少年ものがなかなかありません。そうこうしている内に一冊千円で売っている店が出始めました。うそだろ、昨日まで100円だったじゃないかよ。きっと僕と同じようなヤツが日本中にいっぱい出没しだしたんだ、これはちょっと真剣にならなきゃいけないぞ。最初は100円だった上限が危機感のせいで300円に、500円に、そして越えてはならない一冊千円に、最終的に全90冊の最後の一冊(これ一冊で三年かかった)の『シナリオ悪霊島』に至っては3000円も出す羽目になってしまったのでした(こういうのを買ったあと必ず100円で見つけたりする)。膨大な時間といくらかのお金が減り、全90冊の横溝正史が残りました。揃えた達成感と、満足感、そして少しの寂しさと。
 曲者はこの寂しさでした。気がつくと僕はこの寂しさを埋めようと、揃ってしまう一歩手前の「ゾクゾク」感を再び味わおうとしていました。そうして気がつくと、こんな人間になっちゃっていたと、そういうお話。


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画像1
 角川文庫専用棚。本棚上部の空きスペースを利用して作りました。後列上下「横溝正史」。前列左より「泡坂妻夫」「都筑道夫」「横溝(少年物)」「夢野久作」などが並んでいます。

画像2
 角川文庫棚その2です。やはり空きスペースに作りました。対地震用転倒防止ストッパーの役目も担っています。画面左、切れている部分に「高木彬光」。後列上段「江戸川乱歩」「土屋隆夫」「赤江 爆」。後列下段、「高木彬光」「天藤 真」。前列、「鮎川哲也」「笠井 潔」「仁木悦子」「坂口安吾」等です。


画像3
 内開きドア宿命のデッドスペースを埋める手作りポスター。「杉本一文画伯」による横溝表紙をコレクション。詳細は本文「おまけ」を読んで下さい。



注意
 角川文庫は同一作品に対し何度か装幀の変更を行っています。前書きでもふれた消費税導入のときは全作品ともナンバリングを一新するほどの大掛かりなものでした。目印は背表紙の定価の前についているPの字です。そして、ここが重要なポイントなんですが、このときの変更を境にして、僕にとって角川文庫の背表紙は美しくないものになり、コレクションの対象から外れることになりました(その後も現在にいたるまで何度か背表紙の変更が行われていますが、どんどん格好悪くなっています、あくまでも僕にとっては、ですが)。Pマ−クがつく前にも背表紙に関しては変更があり、この時はそれまで定価の前についていた¥マ−クがとれました(¥350(昭和56年以前)→350(昭和56年)→P350(平成元年)→Y350(現在)となった訳です)。つまり、横溝正史のように長くかかって完結した本に関しては装幀に不揃いが生じました。そして、もう一度いいますが、僕にとって平成元年以後の角川文庫は存在していないことになっていますので、コレクションに関して色々と悲喜劇が起こることになるのです。


横溝正史
全90巻 S46〜
 最終巻の『金田一耕助のモノローグ』はPマークなのだけれど、これだけは特別扱いで買ってあげました。揃えるにはNO98の『シナリオ悪霊島』、NO99『横溝正史読本』が最大級のネックになります。とくに『読本』に関しては僕は現役で入手した以外、8年間に及ぶ古書店通いで一度も目にしていません。今から集めようかなと思ってる人は「揃い」を買った方がいいかも(ちなみに揃いだと6〜8万円ぐらいです)。あと、ちょっと苦労するのがNO48〜50の『人形佐七の3冊』とNO67、68の『悪霊島(上下)』のイラスト版、それに、NO80からの少年ものが数冊といったところです(*NO72〜79は欠番)。現在生きているのは三十数册、少しずつ復刻しているようではありますが、白い背表紙は似合いません。なおそれ以外にこのシリーズには表紙イラスト違いが何種類かあり、ヒット作はそれぞれ3種類、それ以外の初期作品は2種類ずつの絵違い表紙があり、それらも23册は集めたのですが、正確な記録がどこにもないので、それらが全部で一体どれぐらいあるのか不明なのが頭痛の種です。
高木彬光
全81巻 S48〜
 横溝を集め終わり、抜け殻と化していた僕が次にコンプリートを目指したのがこれ。横溝と違い、高い値が付く事もなく、幻の作品も無く、集めだして半年ほどで揃えることが出来ました。最後の3冊はPマークですが、必須アイテムの『仮面よさらば』が含まれているので、いやいや並べてます。現在は『邪馬台国の秘密』『七福神殺人事件』等のおっさん臭そうな数タイトルを残して絶版。『人形はなぜ殺される』や『刺青殺人事件』等の名作は全滅です。
鮎川哲也
全21巻 S49〜
 横溝正史が本格の父ならば、兄はこの鮎川哲也です。松本清張を代表とする社会派ミステリが全盛の時も土屋隆夫と二人で日本の本格を守り続けた人です。角川文庫のコレクターはまずここから始めなければいけません。21冊と冊数もほどほど。適度な苦労は必要ですが、決して不可能ではない。と、コレクションの難易もほどほど。そして上級者用には『黒いトランク』の白背(他は全部深緑色の背ですが、この本だけには白が存在しています)を探す、という楽しみ。まさしくコレクターのためのシリーズといっても良いでしょう。『裸で転がる』の背に「鮎川哲也名作選7」のサブタイトルがついていて、そのあと『囁く女』「鮎川哲也名作選13」まで続きますが「名作選1〜6」は存在していないので注意。全冊絶版。
江戸川乱歩
全20巻 S48〜
  江戸川乱歩の文庫は春陽文庫全30巻、講談社文庫全65巻、と持っているので、集めようと思っていなかったけれど、横溝や鮎川を集めていて気が付いたら揃っていました。表紙は宮田雅之の妖しい影絵と、漫画家の高橋葉介の2バージョンありますが、ここはやはり影絵で揃えたいものです。
仁木悦子
全14巻 S53〜
 近所の近郊型大型古書店の開店日に10冊並んでいました。どうしようかなと考えていたら、その場にいた二階堂黎人さんが勝手に僕のカゴの中に突っ込んだので、集める羽目になりました。角川文庫にはこれ以外に仁木が編集した非ミステリ、第二次大戦で兄をなくした妹たちの文集『妹たちのかがり火』が3冊あります。
土屋隆夫
全18巻 S54〜
 鮎川哲也を集めたらこっちも集めましょう。名作短編揃いです。
都筑道夫
 いっぱいあります。全何巻なのか知りません。でも僕にとって必要なのは「物部太郎シリーズ」の『七十五羽の烏』『最長不倒距離』『朱漆の壁に血がしたたる』と「キリオンスレイシリーズ」の『生活と推理』『復活と死』『再訪と直感』の計6冊。揃えるのは結構大変な6册です。キリオンにはもう一冊、完結編の『敗北と逆襲』がありますがPマークなのでいりません。
天藤 真
全12巻 S55〜
 集めるものが無くなってきました。この人がいました。でもすぐに集まってしまいました。
泡坂妻夫
S54〜
 この人もいました。取りあえず6冊持っていますが、このあと何冊出てるのか知りません。というのは、このあとはPマークなのです。その中には「亜愛一郎シリーズ」の完結編『亜愛一郎の逃亡』が含まれています。でもPはいらないのです。意固地ですか? そうなんです。
笠井潔
S59〜
 『バイバイエンジェル』『アポカリプス殺人事件』『薔薇の女』の「矢吹 駆シリ−ズ」が三冊。おまけで『嵐が丘(鬼丸物語)』松田優作主演映画のノベライズ作品を見つければ完璧。
坂口安吾
全17巻 S45〜
 但しミステリ関係は『不連続殺人事件』『安吾捕物帖』『能面の秘密』『復員殺人事件』『私の探偵小説』の最後の5冊。後ろの方ほど探すのは困難です。
夢野久作
全10巻 S49〜
 さあやって来ました。たったの10冊ながら、これを集めるのは至難の道です。NO3、4の『ドグラマグラ(上下)』は簡単に見つかりますが、どうせなら¥マークにこだわりたいものです。一冊二千円出す気があれば、半分は見つかるかも知りませんが、あとは運と根性です。
その他
 中井英夫『銃器店へ』S50 角田喜久雄『髑髏銭』S47 小栗虫太郎『人外魔境』S53 戸川昌子『猟人日記』『大いなる幻影』等。あと、世間一般に「角川文庫といえば山田風太郎」ですが、僕は忍法帖はいらないので、これも数冊しかもっていません。さて、僕はあと何を集めれば良いのでしょうか?
おまけ
 東京プレスセンターが角川文庫の横溝正史の表紙を集めたポスターマガジンを発行したことがあります。どうしてもこの本が欲しいのですがお目にかかれません。95年に世田ヶ谷文学館で開催した『横溝正史と「新青年」の作家たち』展のパンフにこの本のことが載っていて、これを見る度に欲しくなります。そしてある日、膝を叩きます。「手に入らないなら自分で作ればいい」そう思って横溝をもうワンセット集めることにしました。でも今度は背表紙にこだわりません。逆に貴重な本を無駄にしたくないので、あえてPマークの本を集めたりしました。カバーだけとは言え、さすがに本に鋏を入れるのは勇気が入りました。むき出しになった本の処分を考えました。そんなある日、ウチのアシスタントがぽつりと一言。「僕、横溝って読んだことないんですけど、面白いんですか?」「欲しい? 横溝」「あ、もらえるんなら」「カバー無いけど」「読めればいいっす」「ありがとう!!」そうして出来たのが画像3。

(98/11/15)